契山館 東京支部のブログ

東京が危ない! 霊的な環境の悪化が進む中で、最後に残された解決策はただひとつしかない。それはあなたが霊的な真実を知り、目覚め行動することである。

仲良くすること

私たち霊的な道を歩む人たちは、まず、個々の集団で仲良くすることが第一なのではあるまいか。

特に、支部会の成果はこれに尽きるのではないかと思うこともある。

ずっと以前、とある宗教者が、兄弟子何人かと神社の境内を掃除するように指導者に言われ、きちんと掃除ができた、と言うことを仰っていた。

そこでは、ただ「掃除する」と言うテーマと、「決して声を出さない」と言う条件が与えられていたそうである。

その場ではリードする人がいたのだろう、と私は思ったので、その方に尋ねると、そうではない、と仰った。それではかなり難しい集団行動ではなかったろうか、と私は思った。手順の取り決め、道具の割り当て、作業の分担、時間の設定、自分が参加したならば、どこから掃除するかでもうお手上げである、と思った。

何を以て掃除の完了とするのかが、そもそも不明である。

しかし、全員の修行が進んでいたからか、静かに開始され、粛々と進み、静かに終了したそうである。

先輩も後輩もいたかもしれない。掃除が苦手、という人もいたかもしれない。

自分は普段から庭を綺麗にしているので、ああしたい、こうしたい、と考える人もいたかもしれない。

参加者のなかには、今日は特別に早く帰らなければいけない事情がある人もいたかもしれない。

でも言葉なくしては、正確な意図が伝わらない。

自分の他者への了解と、他者からの自分への了解がすべてである。

引っ張ることではない。無理にお手本を示すことではない。張り切って作業することではない。人に指示することでもない。

阿吽の呼吸こそが円滑化の手段である。

この人はここまでを掃除と考えているだろう。この人は普段から庭の掃除をしているようだから見習おう。この人は力持ちだから、大きめの掃除用具がよいだろう。この人があちらをやるようだから、自分はこちらから始めよう。この用具が余っているようなので、自分が使ってみよう。

他人がどう考えているかを推し量り、自分の行動がどう見えているかに配慮し、個々の事情を持ちながら、常に様子を伺い、自分でも行動する。

そしてスムーズにことが運ぶ。

これが協調というものなのだろう。

もっと手際良く、効率的な方法もあるだろう。彼らが去ったあと掃除のプロが見たら、ごみや埃が残っているのが目につくかもしれない。掃除、ということだけを捉えれば、無論、あまりレベルの高いものではないはずである。

しかし、全員が参加し、作業をし、終えている。これがひとつの成果であることは揺るぎない。

仲良しとは、厳かなものなのだ。

支部会とはそういうものだと思っている。

 

【投稿者:イタル】