契山館 東京支部のブログ

東京が危ない! 霊的な環境の悪化が進む中で、最後に残された解決策はただひとつしかない。それはあなたが霊的な真実を知り、目覚め行動することである。

霊魂、この得体の知れないもの

霊魂ほど、私たちの身近にあって驚くほどその存在に根拠が薄いものはない。
自然科学は、人間の観察によってこの世の事象を解き明かすものである。この学問によってこの世の多くの事象が解き明かされ、学校では教科の中心に位置付いているが、世の人々にとって霊魂の世界は、相変わらず思索での解決が中心である。19世紀に「神は死んだ」などと著名な哲学者に言われて宗教的世界観が顧みられなくなってから幾年月、宗教に関連した物事はすべからく迷信と処するのが現代人一流の標準的な考え方である。霊魂について見れば、そのような立場の宗教からも否定され続けてきたものであり、有史以来どの時代・社会でも中心に据えられることはなかったと思われる。
 
でも、霊柩車を見れば親指を隠す。大事なプレゼンの際に通りすがりの神社に柏手を打つ。仏壇のお花が枯れているとなんか申し訳ない気持ちになる。テレビでは大真面目に心霊写真やスピリチュアルな話が取りざたされている。時々ゾクッとして何やら良くない雰囲気を感じる。本当は目に見えない存在が身近にいるのではないかと、人間の本能が感じている。
 
いるとしたら、何やら恐ろしい。いないとしたら、でもどこか淋しい。いないと言うことを証明することはいわゆる「悪魔の証明」であり、不可能だ。しかし、いると言う証明も小さな範囲にとどまっており、メジャーデビューはしていない。
 
霊魂はもともと、人間の希望で作られたものなのだろうか。
 
しかし、私たちは、霊魂が存在することを知らされている。他ならぬ、水波一郎先生にである。
 
もう大昔になるが、私は水波先生と初対面の折、直接アドバイスを受ける幸運があった。「あなたの家の玄関に般若がある。それが良くない念を着けているので、近くの神社で処分してもらうように。」能や狂言で使う般若の面は怨霊のような恐ろしい様相である。そのようなものが自宅の玄関にあるはずがない。腑に落ちぬまま帰宅すると、飾ってあったのは「なまはげ」の顔を貼り付けた秋田土産の壁飾りであり、普段気にもしなかった物品である。しかし私は息を呑んだ。辞書を引くと「なまはげ」とは般若のことと書いてあったのである。
 
その他、決して事前に調べただけでは分からない家族や地域の歴史のことも先生は(あるいは私の指導霊は)コメントされ、適切な対応を指導された。
 
水波先生の霊査を受けた方々は皆、何らかの驚愕を経験しているだろう。
 
私はそれから、霊魂が私たちの身近に存在することを前提に生きている。
時には、みじめな、不甲斐ない自分であることを嘆きつつも、真剣に私を指導いただく指導霊団、そして会・支部会の仲間とずっと一緒である。
 
霊魂が存在するとすれば、恐らく人は自然と下記の動作をとらざるを得ないだろう。
 
・霊魂を含めた世界観を知り、その上で人間世界で正しく生きる
・人間を救わんとする指導霊から伝授された技法を日々行じ、自らの霊的身体の強化に努める
・指導的な霊魂からの警鐘の重要性を知り、人間を救うべく手段を模索し、活動する
 
霊魂の世界はあまりにも大きく、深淵、崇高であり、物理界での人間の力や立場はその中であまりにも小さい。
そこでは人間ははじめから、ある程度の知性を持った一つの種族でしかない。
 
それでも結局、私は人間のために生きて行きたいのだ。この「得体の知れないもの」とともに。
 
 
 
【投稿者:イタル】