契山館 東京支部のブログ

東京が危ない! 霊的な環境の悪化が進む中で、最後に残された解決策はただひとつしかない。それはあなたが霊的な真実を知り、目覚め行動することである。

地球と死後の世界

こんにちは、ひよっこです。
今日は、ふと考えたことについて書かせていただきました。

その昔は人々が大地の上に住んでいることはわかっても、それが「地球」とは知りませんでした。
しかし、やがて進化論や世界について考え始めた人々がいる中に「地球は平ら」と考えいた人がいたらしいです。
海に出れば端があり落ちる…と考えたらしいのです。
これは、現代の人の中に死ねばおしまい、何もないと考えているに等しいのでは?と思いました。
しかし、人類の進歩と共に考えが変わり、ロケットや衛星の発明で「地球は丸い」という事実を知りました。
ですが、進歩を果たした人類はまだ「死後」という事実を知りません、考えて探求しようとすらしません、しているのは私が知っている限り水波先生だけでしょう。
人は目に見えるものしか追求できないのでしょうか?昔の人は地球と死後の世界についての事柄は見えないに等しい世界ではなかったのでしょうか?
考えた方々はいらしても、それが本当の死後世界でしょうか?霊魂が見えたとして、それは本当に真実でしょうか?
死体は見れば死んだとわかるのに、その人は死後どこへ行って何をしているかわかりません。
それを追求しないのは何故でしょう?

今一度、目には見えない死後の世界や霊的環境、霊魂について考えてみるべきではないでしょうか?
それは真の霊媒である水波先生が霊魂方と協力し、示しておられます。
貴方も霊的世界に興味を示してみてはいかがでしょうか?
 
【投稿者:ひよっこ
 

訪問者 ~宗教の勧誘~

休日の昼間 
久しぶりに家に居ると呼び鈴が鳴った。
とりあえず出てみると
礼儀正しい男性が二人立っていた。
何かの営業? 連休なのに飛び込み訪問とは
ご苦労さまなことだと思った。

「わたくし山田と申します。
 今日はキリスト教のことについて
 少しお話しに参りました」
緊張気味の若いほうの人がしゃべりだした。

話を聞いてあげてもいいが
こちらも興味がないので
時間を取らせてしまうと
かえって悪いと思い
「そういうことに興味はありませんので」
と、きっぱりお断りしてしまった。
すると「あ、そうでしたか」
という表情ですぐに
あきらめて帰っていった。

休日返上で家庭を訪問して
自分の信じる宗教について話をする。
宗教を敬遠するこの時代。
何軒回っても、話を聞いてくれる人など
皆無だろう。
否定されまくりだろうと思う。
心が折れはしないだろうか。
そっけない態度で追い返してしまった後で
申し訳ない気持ちになった。

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人は、どのような宗教を信じようと
また何も信じまいと
自由であると言われている。

今回出会った信者にとって
自分の信仰する宗教が一番であると思う。
宗教を敬遠する人にとって
それを排除することが一番であると思う。
どちらも自由である。
信じた結果がどのようになろうとも
受け取るだけである。
自由意思というと、聞こえは良いが
実はとても厳しい。

さまざまな宗教や教え・考え方がある中で
何かを信じるのであれば
真に高貴な霊魂から示された霊的な真実を
受け入れるのが一番賢いことであり
そしてそれは
最短で霊的な進歩向上できることを
意味するのではないかと私は思う。

契山館では、人の自由意思を尊重する。
しかし、進むべき道しるべを大きく
はっきりと示している。
正解はこちらですよ。
こちらに進みなさいと。
高貴な霊魂方は
『幽体の存在に気づき、鍛えなさい』
とずっと私たちに訴え続けている。


今まで自分が信じてきたものが
何かしっくりこない
本質から外れているようだ
などと直感された方は
考え直すよい機会だと思う。

私自身もそうであったから。

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書籍 『霊魂に聞くⅡ』 では
霊的に高級霊魂は、さまざまな宗教を
どのように見ているのか、がわかります。
さらに、信じるという観点から見れば宗教
と同様である、以下についても
取り上げられていて、興味深い内容です。
 ・科学のみを信じる人
 ・スポーツにすべてを捧げている人
 ・お金至上主義の人

 

霊魂に聞くII - 宗教について高級霊魂は何を語るのか (MyISBN - デザインエッグ社)

 

【投稿者:jan】

 

皆さんこんにちは、ひよっこです。
今日はとある書籍について紹介させて頂きます。

水波一郎先生の「龍」とう書籍についてです。
皆さんは、龍はいると思いますか?また、龍はお好きですか?
私は小さな頃からよく龍の絵を描いていました、おそらく某人気アニメの影響でしょう。
さて、龍とは世間体では「想像上の生き物」とされており、神社では龍神様など祀られています。
しかし、本当に想像上の生き物でしょうか?

この書籍では「霊魂」を前提として書かれた書籍です、つまりは龍という生命体は霊魂という事になり、明らかに想像上の…という話ではないのです。
人間の霊魂がいるとするならば龍も然りかもしれないですが、基本的には私達人間には見えません。
この書籍は私が一番最初に手に取り、一番大好きな書籍であり、一番感動した本です。
そして、人間が知らねばならない話が沢山!
思わず蛍光マーカーで大事な部分に線を引くほど人間には大切な知識が盛りだくさんというわけです!
そこで今日は少しだけ内容を紹介していきます。

龍と人間はこの世ではなく霊魂の住む幽質界に誕生しました、その昔は人間と仲が良く、また、人間の霊的な立場での先生として活動していたらしいのです。
しかし、ある時を境に人間は愚かにも龍という生命体を忘れてしまいました。

龍への攻撃、龍への恐怖心、人間は龍の心を傷つけてしまいます、それでも龍は愛が深く人々が地上で、また、幽質界で苦しんでいるのを助けようと働きます。
ここでは龍の話だけではなく、人間の守護霊様などの高級な霊魂方もでて来ており、共に神霊様の為に苦悩し毎日働く姿が書き記されています。
未熟な私ではここまでしか紹介できません。

先生の書籍は読んでいて大海原に出たかの様な気分になる時があります。(感想がおかしいですが(^^;;)
ともあれ、一度手に取り読まれることをオススメします!
一年前と一年後に読んだときはまた違う感動を覚え涙を流しました。
先生の書籍はそれ程に素晴らしいものです、読まずして死んでは勿体ない!そう思わせる感動の実話です!!

是非とも今日からお手に取りその目に焼き付けてください!

龍: 霊魂の世界から舞い降りた霊力

龍 霊魂の世界から舞い降りた霊力
 
 
【投稿者:ひよっこ
 

危険回避

「だろう運転」
運転免許を取ったことのある人なら、教習所で習ったと思います。
例えば車を運転中、見通しの悪い信号のない交差点に差し掛かったとします。
「何も出てこないだろう」と思ってスピードを落とさずに通過しようとすると、急に
自転車や車が出てきて、あっ!と思って急ブレーキを踏んでも間に合いません。
ガッシャーン!ぶつかってしまいます。

それとは反対に、「何か出てくるかもしれない」と思って充分にスピードを落とせば、
衝突は避けられます。
常に危険を予測して運転するのが「かもしれない運転」です。

しかし、頭ではわかっていても、ついつい「だろう運転」をしてしまいます。
特に運転歴が長いと、慣れや経験から自分で勝手に大丈夫だと思い込んでしまうのです。
しかし運転に危険はつきものです。いつ何が起こってもおかしくありません。
常に気をつけて運転しなければならないのは言うまでもありません。


さて、話は変わりますが、死後の世界はあるのでしょうか。
「死後の世界はないだろう」と思っている人は多いと思います。
そういう方は霊魂の存在も信じていないでしょうから、自分の霊的な状態など知ろうともしません。
おそらく幽体の状態も悪いことでしょう。なぜなら、普通に生活していてもこの世は
低い幽気だらけなので、霊的トレーニングをしない限りよい状態は保てないからです。

そんな方が他界して初めて知るのです、死後の世界があることを。
きっとびっくりすることでしょう。しかしそれだけでは済まされません。
行き先は上の世界ではないからです。

下層の幽界というところは、ずいぶん辛い世界のようです。
自分は何も悪いことはしていないのに、こんな目に合うのはおかしい!そう叫んでも
誰も助けてくれません。
いえ、もしかしたら天使か観音様の格好をした、意識の低い霊魂が迎えに来てくれる
かもしれません。
「ああ、助かった!」と思ったのもつかの間、もっと下の世界に連れていかれてしまいました。

一方、「死後の世界はあるかもしれない」と思っていた人はどうでしょうか。
幸いにも霊的トレーニングを知り、実習していた人は上の世界へ行けるので安心です。
たとえ霊的トレーニングを知らなかったとしても、霊魂の存在は信じているでしょうから、
せめて守護霊・指導霊に助けてくださいと祈れば、思いは上手くいけば補助の霊魂方には
届いて救われるかもしれません。


「かもしれない運転」をしていて特に危険がなかったとしても、スピードを落として損した、
などと思う人はいないでしょう。
「死後の世界はあるかもしれない」と思っていたのに、実際にはなかったとしても何の害もありません。
「だろう運転」をする、「死後の世界はないだろう」と決めつけることのほうが、のちに重大な危険に
つながるのです。


死後の世界は科学では証明できません。
しかし、水波霊魂学では、死後の世界も霊魂の存在もあると主張しています。

水波一郎師の著書は多数あり、アマゾンで販売しています。
契山館のHPもあります。http://www.interq.or.jp/mercury/w22525/
支部・分会集会の見学もできます。
もしかしたら、と思ったら、契山館の門を叩いてみませんか?

 

【投稿者:はっぱ】

 

自然の脅威と人間の脅威

台風、地震と災害が続いています。

どちらの地域も知り合いがいたりして、よく遊びに出掛けるところであり、とても思い入れのある場所です。被災後の写真がアップされていたので見ていましたところ、お店の中は棚が倒れ、置物やお皿がバラバラと床に散乱していました。再開は未定であると・・・。

 

日本は災害の多い国で、地震や台風などあたりまえと思いますが、いざ自分の身に降りかかったときは、平常心を失い、途方に暮れることでしょう。

形あるものはいずれ壊れて無くなるとわかっていますが、やはり恐怖ですし、住む家が流されようものなら、当分の間は立ち直れないかもしれません。テレビの映像をボーっと見ながら、いろいろ考えていました。

 

一方で、山や田畑や海に生きる生物に思いを転じてみると、動植物たちは自然災害以上に、人間によって、住み家や生息域を犯され、危機にさらされているかもしれないと思いました。

 

ある日突然トラックやブルドーザーが入ってきて山を切り崩す。道路ができたので、車が通り、動物たちが轢かれて犠牲になる。害虫駆除のために上空から農薬が撒かれ、いつのまにかカエルたちが消える。そしてそれを餌にしていた鳥も絶滅。猛毒のハブを駆除するために人間の浅はかな判断により放たれた肉食獣が、今度は森に生きる絶滅危惧種の小動物を殺す。などなど。

 

しかし、人間の脅威は、物質の世界だけにとどまりません。

幽質界では、人間によって他の霊魂たちがたいへんな犠牲を強いられているようです。人間の霊魂は、見知らぬ霊魂に出会った時、恐怖のあまり戦いを挑み、念を浴びせ相手の幽体を切り刻む。猛獣たちは、これでもかというくらい幽体を痛めつけられる。

 

どうしてそこまで人間は凶暴になれるのか、理解に苦しみます。虐待を受け続ける他の霊魂たちを助けるには、地上の人間が霊的な知識を得て賢くなり、神伝の法により幽体を鍛えて下層の幽質界に落ちない。これしか方法はないです。しかし、地上の霊的環境は悪化するばかりで、人間は正しい霊的知識には聞く耳を持たず。

 

『二本足の霊魂 ~人間と霊魂の歴史~』に詳しく記述されていますので、ぜひお読み下さい。幽質界で被害を受けてきた霊魂たちの我慢は、もう限界を超えているようです。

 

【投稿者:jan】

あなたのそばにいるのは・・・

北海道で大きな地震がありました。

旭川に仕事関係の知り合いがいるのですが、聞いてみると深夜3時過ぎくらいに信じられないくらい揺れたとのこと。そしてその後停電となったそうです。当人は自宅含め無事だったそうですが。

被災された皆様に心よりお見舞いを申し上げます。

  

~・~・~・~・~・~

 

本日も霊魂のお話を。

守護霊、指導霊、補助霊、そして不道徳な霊魂や邪霊たちも私たちの目には見えない。

目に見えないからと言って、いないわけではない。

幽質は物質ではないので、幽体の存在である彼らを、肉体(物質)の目で見ることはかなわない。

 

ただ、

守護霊なら、あなたが何のために生まれてきて、何をすべきなのかを知っているかもしれない。

指導霊・補助霊なら、どうしたらあなたが霊的に目覚めてくれるか日夜苦悩されているかもしれない。

不道徳な霊魂なら、あなたの身体から間気が漏れていないか、くまなく調べているかもしれない。

邪霊なら・・・あまり想像したくないですね。手遅れでないことを願います。

 

 

今、私たちは何をすべきなのでしょうか?

 

 

指導霊団の言葉を霊媒として受け止め、書籍として出版されている方が、契山館を主宰されている水波一郎師です。是非あなたに、Amazonに20冊以上ある契山館の主張を読んでいただきたいと思います。そして入会いただいて霊的トレーニングを、神伝の法を手に入れて実践いただきたいと思います。

 

↓「再生」の話は必読です!

二本足の霊魂: 人間と霊魂の歴史

 

契山館 東京支部では見学のお申し込みを随時受け付けております。

「お問い合わせはこちら」からお申し込みください。お待ちしております!

 

よいち

 

なぜ信じる人となったのか

自分はどうして師のことを信じられるのだろう、霊魂のことを信じられるのだろう。まずは人それぞれだと思います。中には天の声を聴いた(!)という方もいらっしゃるのかも知れませんね。

先日、投稿させていただいた際には、奇跡を目の当たりにしたことがきっかけだったと書きましたが、奇跡を起こせる人=人生を託せる人、ではないですね。ですので、全く言葉足らずでした。自分の中のパラダイムが変わり、それからずっと霊魂の道を歩ませていただいたのは、やはり師の存在を何度か目の当たりにしたからだ思います。

いきなり話がそれるようですが、古い会報の、恐らくは師の直接の言葉に、「私は親鸞が好きである」の一言があったと思います。親鸞は、「師の法然の言葉に間違いがあって地獄に落ちたとしても本望である」と言ったそうです。

親鸞は生前、何らかの霊的知覚を持っていたという記述は残っていません。自分の霊的知覚でなく、念仏を広めることを中心とした精力的な宗教活動と、師の法然の存在そのものから、念仏の力を信じることができたのではと思います。無論、師の法然も霊的知覚はなかったのではないでしょうか。

法然との出会いがなければ、親鸞比叡山で学僧として勤め、ゆくゆくは天台座主として京の都を見下ろす人になっていたかもしれません。しかし親鸞は全てを擲って、都では危険分子として扱われていた法然のもとに駆け込むこととなりました。

比叡山からは、様々慰留活動や変節を批判する声もあったでしょう。お前はなぜそうまでして、と理由も問われたと思います。

その理由はもちろん私には分かりません。しかし想像しています。法然の書いたものや噂だけではなく、法然の講座を何度か聞いたからではないかと思います。

この人は本物である、この人は正しい、理詰めではなく、存在がそう訴えかけている、そう思ったのだと思います。法然天台座主となる道を約束されていたにもかかわらず、真実を求めて比叡山を下りた先達だったのでした。

いつも危険に晒されながらも、柔和な人格を持ち、周りの人をいつも感動させ、恐ろしく能力・見識があり、ポジティブで愛らしく、弟子と共に泣き笑いができる師匠は、他にない、この人に人生をかけてみたい、と思ったのだと思います。つまり、ずっと一緒にいたい、弟子でいたい、ということだったでしょう。

もちろん、親鸞と自分自身を比べようとする訳ではありません。

人が宗教活動に邁進するきかっけは、やはり人ではないかと思います。理詰めや、説得や、奇跡の呈示ではない。他の人のきっかけとなるような人材が、世の中に少しでも出て行くことだと思います。

師の教えが広められなければ人類に救いはないのにも関わらず、師は一人だけです。一方では、宗教を主張する人は、集団は、まずは否定されるところから始めないといけません。

協力し、助け合い、カバーし合い、守り合いながら、進むべきと思います。やがてはこのチームワークが、人を感動させる日も来ることを祈ります。

 

 【投稿者:イタル】